2014年08月10日
軍師官兵衛。第33感想妄想「傷だらけの魂」
今日は多くの人が台風で自宅にいるので、軍師官兵衛を見ている可能性がありますが、
アメリカのドラマで「Dr.HOUSE」のシーズン2を、DVDで借りて見ている状態。
医療ドラマの面白さにはまり、専門用語だかけだからこそ、フィクションのドラマが
迫力があっていい。軍師官兵衛も見たいけど、そこまで麻薬性はないので、またまた妄想感想。
利だけの豊臣秀吉
日本史において農民から日本国の君主までになったスーパー出世人は豊臣秀吉のみ。
今でいえば、一般家庭に生まれた子供が、トヨタとソフトバンクの両方を、創業社長を一代で
築き上げたようなもので、今後も秀吉のような人は日本史には登場しないでしょう。
秀吉の悲しい現実は、本来なら三代目程度でなるはずの日本国トップを、一代でするわけだから、
帝王学のような本来持っている素養などの教養が皆無であり、完全な成り上がりである。
今の安倍総理は、親類縁者で政治家出身がゴロゴロいるのと比較しても、特殊事情がわかる。
だからこそ、秀吉が日本国トップになれたのは、信長の思想的な理念である「利」であり、その利を
心底信じているからこそ、信長の後継者として次のトップになれた。
こうした経緯から、秀吉の尺度は「利」であり、利以外の評価基準が極めて低い。
人の生死も、生きがいも全て「利」を物事の本質に置いている。
こうした下で働く黒田官兵衛も、教養は秀吉の数百倍あり、名門の出であるが、同じように「利」によって、
全ての尺度としている感じがある。
しかし、有岡城での牢獄から、大きな心の変化が出ている。
利だけではなくなった官兵衛のキリスト教
有岡城で生死の境を1年間という長い時間いたのであるから、心の変化も相当であった。
また、清州会議以降、官兵衛は豊臣政権から、除外されつつあり、秀吉特有の「利」の伝染力が、どんどん
低下していく流れになっていく。そうした状況において、軍師という生臭い騙しあいをしながらも、心のどこかに
どんどん「非の利」が植え付けられていく感じがある。
こうした中、一番キリスト教と疎遠だと思われた黒田官兵衛が、キリスト教に入信するのであるから、
これは一番の驚きであろう。
特に君主である秀吉は「利」しか念頭にないから、官兵衛がどうしてキリスト教に入信したのか意味不明・理解不能で
あったに違いない。
こうした官兵衛の心の変化は、戦国時代の面白さ。
安土桃山文化のルネサンス的な新鮮さがある。
戦国武将としてはトップレベルの知性と教養がある黒田官兵衛が、キリスト教へ入信するという1点だけでも、
この時代の躍動感が伝わる出来事だ。
黒田官兵衛が愛される理由。
黒田官兵衛がキリスト教に入信したと知った時の衝撃はすごかった。
軍師という立場であるから、すべて合理的に判断し、すべて科学的な側面から物事を見ていると思っていた。
それが、豊臣政権から「リストラ」され、やる事が無いからと言って、キリスト教に入信とは。
織田信長のキリスト教活用は、あくまでも先端知識の確保であり、火縄銃に見る最新の軍事技術に
魅了されたからであり、その流れとしてキリスト教に強い関心があっただけだ。
それが官兵衛は、そうした感じではなく、なんとなく何かが引っ掛かるから入信した。
こうした官兵衛の軍師にあるまじき「お茶目な大胆行動」が、黒田官兵衛が単なる軍師的な鋭利さだけではない
「おバカさんな軍師」という愛されキャラとして、今でも人気の根底にあるように思う。
軍師の先輩である竹中半衛衛は、生死感が同等であったが、キリスト教に入信するような「心の弱さ」はなく、
あくまでも英知に富んでいる。それはそれでカッコイイけど、愛されキャラにはならない。
単純に現代でも、周りの友達や会社の同僚が、夏休みの間にキリスト教に入信したよ!なんて言ったら、
相当驚くけど、そんなお茶目な行動を簡単にする「間抜けさ」が、黒田官兵衛の可愛らしさになっていると思う。
アメリカのドラマで「Dr.HOUSE」のシーズン2を、DVDで借りて見ている状態。
医療ドラマの面白さにはまり、専門用語だかけだからこそ、フィクションのドラマが
迫力があっていい。軍師官兵衛も見たいけど、そこまで麻薬性はないので、またまた妄想感想。
利だけの豊臣秀吉
日本史において農民から日本国の君主までになったスーパー出世人は豊臣秀吉のみ。
今でいえば、一般家庭に生まれた子供が、トヨタとソフトバンクの両方を、創業社長を一代で
築き上げたようなもので、今後も秀吉のような人は日本史には登場しないでしょう。
秀吉の悲しい現実は、本来なら三代目程度でなるはずの日本国トップを、一代でするわけだから、
帝王学のような本来持っている素養などの教養が皆無であり、完全な成り上がりである。
今の安倍総理は、親類縁者で政治家出身がゴロゴロいるのと比較しても、特殊事情がわかる。
だからこそ、秀吉が日本国トップになれたのは、信長の思想的な理念である「利」であり、その利を
心底信じているからこそ、信長の後継者として次のトップになれた。
こうした経緯から、秀吉の尺度は「利」であり、利以外の評価基準が極めて低い。
人の生死も、生きがいも全て「利」を物事の本質に置いている。
こうした下で働く黒田官兵衛も、教養は秀吉の数百倍あり、名門の出であるが、同じように「利」によって、
全ての尺度としている感じがある。
しかし、有岡城での牢獄から、大きな心の変化が出ている。
利だけではなくなった官兵衛のキリスト教
有岡城で生死の境を1年間という長い時間いたのであるから、心の変化も相当であった。
また、清州会議以降、官兵衛は豊臣政権から、除外されつつあり、秀吉特有の「利」の伝染力が、どんどん
低下していく流れになっていく。そうした状況において、軍師という生臭い騙しあいをしながらも、心のどこかに
どんどん「非の利」が植え付けられていく感じがある。
こうした中、一番キリスト教と疎遠だと思われた黒田官兵衛が、キリスト教に入信するのであるから、
これは一番の驚きであろう。
特に君主である秀吉は「利」しか念頭にないから、官兵衛がどうしてキリスト教に入信したのか意味不明・理解不能で
あったに違いない。
こうした官兵衛の心の変化は、戦国時代の面白さ。
安土桃山文化のルネサンス的な新鮮さがある。
戦国武将としてはトップレベルの知性と教養がある黒田官兵衛が、キリスト教へ入信するという1点だけでも、
この時代の躍動感が伝わる出来事だ。
黒田官兵衛が愛される理由。
黒田官兵衛がキリスト教に入信したと知った時の衝撃はすごかった。
軍師という立場であるから、すべて合理的に判断し、すべて科学的な側面から物事を見ていると思っていた。
それが、豊臣政権から「リストラ」され、やる事が無いからと言って、キリスト教に入信とは。
織田信長のキリスト教活用は、あくまでも先端知識の確保であり、火縄銃に見る最新の軍事技術に
魅了されたからであり、その流れとしてキリスト教に強い関心があっただけだ。
それが官兵衛は、そうした感じではなく、なんとなく何かが引っ掛かるから入信した。
こうした官兵衛の軍師にあるまじき「お茶目な大胆行動」が、黒田官兵衛が単なる軍師的な鋭利さだけではない
「おバカさんな軍師」という愛されキャラとして、今でも人気の根底にあるように思う。
軍師の先輩である竹中半衛衛は、生死感が同等であったが、キリスト教に入信するような「心の弱さ」はなく、
あくまでも英知に富んでいる。それはそれでカッコイイけど、愛されキャラにはならない。
単純に現代でも、周りの友達や会社の同僚が、夏休みの間にキリスト教に入信したよ!なんて言ったら、
相当驚くけど、そんなお茶目な行動を簡単にする「間抜けさ」が、黒田官兵衛の可愛らしさになっていると思う。
Posted by 黒田官兵衛考高 at 21:17
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