2014年06月03日
軍師官兵衛。第23回感想妄想「半兵衛の遺言」
竹中半兵衛と検索すると・・・・


日本の歴史オワッタ
前にネタとしてネットの中では話題にはなっていましたが・・・
日本は平和です。
やっぱり「戦国オタク」より「アニメオタク」の方がネットの中で「大名級」なんでしょう。
これは、戦国ドラマを作る上でけっこう大切な分析であります。
「艦これ」というソーシャルゲームがありますが、これも同じ路線ですね。
案の定、太平洋戦争時における日本海軍の戦艦の名前を検索すると・・・・まだまだ大丈夫ですね・・・
真田丸における三谷幸喜も、この路線は外さず、ネットの中で話題になるようにしましょう。
狙うは「アニメオタク」であり、戦国オタクではないこと。
ちなみに、すでに「清州会議」は誰も借りない「レンタルビデオ」になっています。
その意味では本当に「不安」しかないですね。
彼の演出の特徴は、テレビ的な「ひな壇タレント」の役者登用ですからね。
空っぽさが、見抜かれているので、脚本は担当していいけど、演出だけは絶対に手を出さないように。
脚本も演出も担当すると、清州会議のような悲惨さになる。
戦国時代における諸葛孔明
竹中半兵衛は、漢時代における項羽と劉邦で活躍した張良。三国時代における劉備の元で活躍した諸葛孔明。
それに匹敵するスーパー軍師です。
違う点があるとすれば、薄命であり、天下統一前に無くなった事と、そのため恩賞が正当化されなかった点。
このため、子孫がその才能に比例した「業績」を得ることなく、口伝のような形で、その才を見聞きしている点であろう。
こうした異例の軍師である竹中半兵衛。
最近では「信長の野望」というゲームがありますが、その「数値」によって、比較検討ができるため、
非常にわかりやすい形で、彼の能力が実証されています。
秀吉という「器」を利用して、その中にどんな水を入れておくか。
天下の補佐役羽柴秀長と並んで、軍略での竹中半兵衛の才能は、戦国時代を彩る物語で、本当にワクワクします。
彼がいると・いないのとでは、織田・豊臣の歴史の中では非常に差になっている。
薄命であるが故に野望ゼロ
もし、竹中半兵衛が精強な肉体をもっていたなら、どうであったであろうか。
これは簡単だ。
黒田官兵衛のように、傲慢で鼻持ちならない野心家になっていたであろう。
だからこそ、竹中半兵衛も官兵衛を見た時に、己の野望を引き継ぐ者として、才覚として官兵衛を選んだ。
逆に、官兵衛は、半兵衛の気持ちを理解するに苦労してであろう。
才能があるのに、野望ゼロというスタイルに理解不能。
なぜに、戦国の世にありながら、下剋上の世界に身を置かないのか?
そんな歯がゆさがあったであろう。
逆にこうした「漫才軍師」のような掛け合いが、秀吉や今の戦国ファンの血を熱くさせている点でもある。
誰もが生まれてきたなら、一国一城の「野望」を持ちながら、現実はまったく違う世界で生きる。
こうした点に、竹中半兵衛のはかなさと、自分自身の人生を天秤にかける感じがある。
そして、それは、黒田官兵衛の後半の生き方にも大きな影響を与える。
彼の名は後期「如水」となる。
読んで字のごとく「水のごとし」である。
官兵衛が、どうして如水と名をしたのかは、ほぼ半兵衛の影響が大きいであろうと予想できる。



日本の歴史オワッタ
前にネタとしてネットの中では話題にはなっていましたが・・・
日本は平和です。
やっぱり「戦国オタク」より「アニメオタク」の方がネットの中で「大名級」なんでしょう。
これは、戦国ドラマを作る上でけっこう大切な分析であります。
「艦これ」というソーシャルゲームがありますが、これも同じ路線ですね。
案の定、太平洋戦争時における日本海軍の戦艦の名前を検索すると・・・・まだまだ大丈夫ですね・・・
真田丸における三谷幸喜も、この路線は外さず、ネットの中で話題になるようにしましょう。
狙うは「アニメオタク」であり、戦国オタクではないこと。
ちなみに、すでに「清州会議」は誰も借りない「レンタルビデオ」になっています。
その意味では本当に「不安」しかないですね。
彼の演出の特徴は、テレビ的な「ひな壇タレント」の役者登用ですからね。
空っぽさが、見抜かれているので、脚本は担当していいけど、演出だけは絶対に手を出さないように。
脚本も演出も担当すると、清州会議のような悲惨さになる。
戦国時代における諸葛孔明
竹中半兵衛は、漢時代における項羽と劉邦で活躍した張良。三国時代における劉備の元で活躍した諸葛孔明。
それに匹敵するスーパー軍師です。
違う点があるとすれば、薄命であり、天下統一前に無くなった事と、そのため恩賞が正当化されなかった点。
このため、子孫がその才能に比例した「業績」を得ることなく、口伝のような形で、その才を見聞きしている点であろう。
こうした異例の軍師である竹中半兵衛。
最近では「信長の野望」というゲームがありますが、その「数値」によって、比較検討ができるため、
非常にわかりやすい形で、彼の能力が実証されています。
秀吉という「器」を利用して、その中にどんな水を入れておくか。
天下の補佐役羽柴秀長と並んで、軍略での竹中半兵衛の才能は、戦国時代を彩る物語で、本当にワクワクします。
彼がいると・いないのとでは、織田・豊臣の歴史の中では非常に差になっている。
薄命であるが故に野望ゼロ
もし、竹中半兵衛が精強な肉体をもっていたなら、どうであったであろうか。
これは簡単だ。
黒田官兵衛のように、傲慢で鼻持ちならない野心家になっていたであろう。
だからこそ、竹中半兵衛も官兵衛を見た時に、己の野望を引き継ぐ者として、才覚として官兵衛を選んだ。
逆に、官兵衛は、半兵衛の気持ちを理解するに苦労してであろう。
才能があるのに、野望ゼロというスタイルに理解不能。
なぜに、戦国の世にありながら、下剋上の世界に身を置かないのか?
そんな歯がゆさがあったであろう。
逆にこうした「漫才軍師」のような掛け合いが、秀吉や今の戦国ファンの血を熱くさせている点でもある。
誰もが生まれてきたなら、一国一城の「野望」を持ちながら、現実はまったく違う世界で生きる。
こうした点に、竹中半兵衛のはかなさと、自分自身の人生を天秤にかける感じがある。
そして、それは、黒田官兵衛の後半の生き方にも大きな影響を与える。
彼の名は後期「如水」となる。
読んで字のごとく「水のごとし」である。
官兵衛が、どうして如水と名をしたのかは、ほぼ半兵衛の影響が大きいであろうと予想できる。

Posted by 黒田官兵衛考高 at 05:09
│6月