2014年06月08日

軍師官兵衛。第24回感想妄想「帰ってきた軍師」

まず、20回目まで見てきたけど、
「どこが軍師なの」
という点があります。

軍使としての活躍は、あちこちで今回の大河ドラマでは見ましたけど、軍師としての深謀遠慮は見ていないので、タイトルにすごく違和感がありますね。
岡田官兵衛の、どの部分が軍師なのでしょうか。
演出が下手なのか。それとも脚本がダメなのか。イマイチわかりませんけど。




主君がいないので軍師感がない
今回の最大のミスを言うなら、すでにこの分析で終わっている。
それが、
片岡鶴太郎が君主だからね
という点であろう。

鶴太郎さんの演技も内容もいいけど、小寺鶴太郎が演じた「馬鹿殿様」が演出的に最悪であった
つまり、馬鹿殿の下にバカ軍師がいる。それが岡田官兵衛の下手で大声しか出せない演技にさらに印象を悪くし、
結果的に、君主のための軍師という側面を台無しにしている。

これが最初から、竹中秀吉の下での演技であれば、それなりの「風格」があったのであろうが、
鶴太郎の馬鹿殿演技が、軍師の品格をダメにした。

その意味では演出家の田中さんの力不足であり、脚本家の間違いである。

軍師官兵衛。第24回感想妄想「帰ってきた軍師」

馬鹿殿である小寺鶴太郎を諌める所か、迎合し、ヨイショしかしない岡田官兵衛の存在感が、
軍師感の欠落を招いた結果になっている。

こうした点など、すぐにわかるのであるが、戦国史観がほとんど無い岡田さんでは、
演出家の田中さんのいいなりに演技したため、ダメ・バカ軍師になってしまった。







劉備玄徳の下だから諸葛孔明であった
三顧の礼をもって迎えられた軍師。
三国志の山場であるが、関羽と張飛という豪傑をすでに支配下において、軍師を招く。
だからこそ、諸葛孔明の存在感がぐーんと増す。

独眼竜政宗の下で近習として、血気にはやる若い君主を諌める片倉景綱。
だからこそ、東北のスーパースターである政宗以上の魅力を出す軍師がそこにある。

今回、なんで小寺鶴太郎をメインにした君主を、長々としてしまったのか?
それが軍師像を「低俗化」させている点に気づいていない。

帰ってきたバカ軍師。
そんな印象しか20回の中でしかない。

本来なら、小寺鶴太郎の馬鹿殿様を大幅にカットしてれば、こうした弊害がなかったと思う。






Posted by 黒田官兵衛考高 at 21:20 │6月