2014年06月14日

黒田孝高の戦国武将としての歴史カ

今回の大河ドラマで大きな発見がありました。
それは下記の記事です。

「軍師官兵衛」初回視聴率は西高東低 関東18.9%、関西23% - MSN産経ニュース

そして、それを裏付けるように、ウィキを見てみると、関東が関西を抜き出したのがありません。

黒田孝高の戦国武将としての歴史カ

全て「関西連戦連勝」です。




関西人気のわけ

黒田官兵衛の経営領地は、姫路からスタートし、最終的には中国・関西・四国・九州となります。
このような流れであるから、自然と戦国武将としての尊敬度として、西よりになるのは当然でしょう。

しかし、逆に言えば、ここまで「関東不人気」といのが理解が出来にくい部分であります。
戦国武将であれば、多少の地域性は無視してよいし、毎回、「関西勝利」となるのも不思議です。

分析してみると、大河ドラマの「観光」が大きく寄与していると思います。
関東で暮らしていると全くわかりませんが、関西方面では、それなりに、「軍師官兵衛の観光業」が成功していると言われています。

関東から関西以西になると、旅行となりますが、関西方面なら、日帰りに近い気軽なレジャーです。
そうなると、自然とドラマの内容よりも、地域性が重要になりますし、見方が全く違います。

こうした事を分析してみれば、やっぱり大河ドラマは「観光」に大きな依存があるのですが、それは
「見る」という行為にも大きく寄与している点があると認識できる。





黒田家は武将ではなく殿様

個々の感想に分かれますが、黒田家とは関東では「武将」、関西では「殿様」となっている気がします。
つまり、武将であれば、単なる駒程度ですが、殿様となると、敬う人になるわけです。
自然と、親しみ度は大きく変わります。

戦国時代から江戸時代、そして幕末から明治時代へと移行しても、黒田家としての「殿様価値」は
数百年にありましたから、簡単に「風化」するものではありません。

こうした点は、大河ドラマ「平清盛」のように、あまりにも離れすぎた関西の英雄では紐づくことができませんが、
黒田家なら、それが殿様であるという、日本の歴史のDNAに大きく寄与していると思います。

Posted by 黒田官兵衛考高 at 11:39 │6月