2012年12月08日

鍋島直茂

九州の戦国地図の中において、特出すべき存在。
龍造寺家でありながら、補佐的な存在で名を上げた。
その意味では、上杉家の直江と同じ感じである。

問題があるとすれば、九州という本土とは離れた場所のため、
その存在が希薄であった点。
つまり、もし、京都近くで活躍していれば、1大名の流れになっていた。

龍造寺家自体は、素晴らしいが、その素晴らしさがあっても、
地の利がない場合はこんな状態になるのであろう。

Posted by 黒田官兵衛考高 at 04:08