2012年10月26日

官兵衛と九州時代

確かにその通りだけど、なぜ、九州が人気にならないのかは、とてもわかりやすい。
それは、ヒーローの時代ではなく、ネタとして官兵衛1人になってしまうからだ。

これでは、戦国ネタとしては、不十分であり、
「だからなに」
という感覚になってします。

業績としては、理にかなうけどね。

----------
■最も輝いた時代

 「官兵衛と言えば、播磨(兵庫)で生まれたことや福岡藩の藩祖というイメージがまだまだ強い」。7年前から大河ドラマの誘致に取り組んできた市民グループ「豊前国中津黒田武士顕彰会」の松本達雄事務局長(64)は残念そうに語る。

 官兵衛の中津時代は1587年から1600年まで。豊前国6郡12万3千石を豊臣秀吉から授かり、九州から天下を取ろうと最後の野心を燃やしたとされる時代。「自ら集めた兵で九州を平定しようと戦った中津時代の官兵衛は生涯で最も輝いていた」と力を込める。

 にもかかわらず、官兵衛のイメージが薄い理由について、松本さんは「中津では福沢諭吉の陰に隠れて注目されにくく、PRが少なかったのでは」と分析する。
-----------

Posted by 黒田官兵衛考高 at 04:08 │10月