2012年12月09日

島左近清興

いわずと知れた石田三成の軍師。
その存在自体は戦野郎であるけど、実際には軍師以外にも戦略的な部分も担当していた。
それでないと、戦術だけなら、現場指揮官になるだけで、本当の戦野郎になるだけ。

内政については、君主の三成がしているので、どうしても霞んでいる。
しかし、左近もそれなりの組織人であるからこそ、戦場で戦えるのであるから、
単なる戦びとでない。

関が原という大戦で、どうしても戦いの場面が多いが、
実際のところどの程度の内政部分もあったのか知りたい。

謀略面が秀でた点は、戦関連の軍師であるから仕方が無い点がある。  

Posted by 黒田官兵衛考高 at 04:01

2012年12月08日

鍋島直茂

九州の戦国地図の中において、特出すべき存在。
龍造寺家でありながら、補佐的な存在で名を上げた。
その意味では、上杉家の直江と同じ感じである。

問題があるとすれば、九州という本土とは離れた場所のため、
その存在が希薄であった点。
つまり、もし、京都近くで活躍していれば、1大名の流れになっていた。

龍造寺家自体は、素晴らしいが、その素晴らしさがあっても、
地の利がない場合はこんな状態になるのであろう。  

Posted by 黒田官兵衛考高 at 04:08

2012年12月07日

豊臣秀長。羽柴秀長。

いわずと知れた秀吉の弟である。
秀吉を盛り上げるために、完全に影の存在になっているけど、
堺屋太一さんが書いた「補佐役」という本で一躍その存在が注目が集まる。

書いている内容通りだとすれば、まさに千利休と並ぶ巨才であった事。
実際に120万石の大大名である。

もし、秀長がいなければ、秀吉は途中で空中分解している可能性もあり、
その存在はきわめて大きいのだ。

軍師というより大名であり、大名である以上に君主に近い。
もし、秀長が長生きしていたら、豊臣家の存在は徳川家を凌駕しているであろう。
それだけ歴史を変える存在である。  

Posted by 黒田官兵衛考高 at 04:17

2012年12月06日

蜂須賀小六正勝

羽柴秀吉の最初の軍師であり、その存在感は、非常に使い勝手が良い立場であったし、
蜂須賀自身も、気の短い信長に使えるよりも、秀吉の下で大変だけど、それなりの立場で働いた方が
自由度がきいてよかったと思う。

こうした点を踏まえると、蜂須賀正勝は、上司を選択するノウハウが優れていたし、
また、自分の能力を過小評価も過大評価もしなかった点がみてとれる。
こうした客観性がある軍師タイプの人材は秀吉にとってもありがたい存在価値であってであろう。  

Posted by 黒田官兵衛考高 at 04:19

2012年11月14日

軍師のイメージ

軍師のイメージ

軍師のイメージについて。

2通りのパターンになると思う。
ひとつは
・若くてハンサムで知的。
・年老いて思慮深く山の如く

若い女性は上で、男性は下を好む。


基本は若くてハンサムが幅をきかせます。
また、短命なイメージもあり、それ故、貧弱系が多いですね。

年老いた方は豪傑ではない。

この中間がないのが残念ですね。  

Posted by 黒田官兵衛考高 at 04:17

2012年11月13日

小早川 隆景

小早川 隆景

毛利家の最大の軍師。
これがいなければ、戦国時代の激動の世の中で、毛利家は織田家や豊臣家に滅ぼされていた。
彼が死去した後、凡庸な当主では徳川家康には対抗できない。

その意味では、毛利家にとり、創業の元就とおなじくらい重要な人物であり、
毛利家2代目当主とも言えた存在。  

Posted by 黒田官兵衛考高 at 04:10

2012年11月05日

羽柴秀吉

織田信長が拾い上げた最高の軍師であり、部隊長。
もし、信長がいなければ、秀吉は世に現れていないであろう。

しかし、最近の調査で秀吉の能力は、初期の頃からずば抜けていたという説が有力になっている。
逆に信長の能力は低下させているのが多い。

こうした事は天下を統一した秀吉だからこそ、色々なエピソードが生まれる。

羽柴秀吉  

Posted by 黒田官兵衛考高 at 04:05

2012年11月03日

片倉景綱

片倉景綱

いわずと知れた伊達家の要。
しかし、伊達政宗自体が戦国後期の活躍なので、どうしても影がうすい。

さらに言えば、後進地区の東北であったため、古い戦国スタイルしか知らない。
ただ、政宗自体が先進的であったため、それを、あの古い地区で理解しサポートできた事は脅威。
秀吉が直江兼続と並び評するのもわかる。  

Posted by 黒田官兵衛考高 at 04:03

2012年11月02日

松永久秀

織田信長が使いこなす変質ジーさんです。

近畿では彼の能力を上回る人は少なく、軍師レベルではなくきょうゆうレベル。
その悪童ぶりが愛されている。

また、茶人としても一級であり、信長の茶道ノウハウを上を行く。

信長だからこそ家臣に出来た面白おっさん。

松永久秀  

Posted by 黒田官兵衛考高 at 06:29

2012年11月02日

武田信繁

武田信繁

武田信繁。
いわずと知れた武田信玄の弟です。

あまり存在感がないように思いますが武田家臣団の中にあり、尊敬される武将になるという事は
それ自体が、相当な能力がないと勤まらないわけで、信玄の影になっている武田信繁ですが、
まさに信玄譲りの才能であったことは否定できません。

惜しむは、川中島で死んでしまい、もう少し長生きしていれば、名将として名が世に出ていたであろう点です。  

Posted by 黒田官兵衛考高 at 05:07